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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)14112号 判決 1972年9月27日

原告

(バァージニア州)

エー・エイチ・ロビンス・コンパニー・インコーポレーテッド

右代表者

ダブリュー・エー・フォーレスト二世

右訴訟代理人

湯浅恭三

外三名

被告

ケミア貿易株式会社

右代表者

ヨハンネス・バート

被告

海外交易株式会社

右代表者

丹波泰弘

被告

太田製薬株式会社

右代表者

太田晶三

右被告ら三名代理人

牧野良三

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立<略>

第二  請求の原因

一  原告の特許権

原告は、次の特許権の権利者である。

特許番号 第二四九、九二三号

名称 アルコキシフエノキシー2ーハイドロキシープロピルカーバメート類の製造方法

特許出願 昭和三一年六月二一日

(昭和三〇年六月二二日出願にかかるアメリカ合衆国特許出願に基づく優先権主張による)

出願公告 昭和三三年一〇月一四日

登録 昭和三四年三月三日

二  特許請求の範囲

本件特許発明の明細書の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。

「3ーオルソーアルコキシフエノキシー1・2ープロパンジオールをフォスゲンと反応させ、有機アミン塩基を加え、かくして得られたクロロカーボネート中間体にアンモニア又は低級アルキルアミンを反応させ、反応混合物からカーバメート塩を分離することを特徴とするアルコキシフエメキシー2ーハイドロキシープロピルカーバメートの製造方法」

<中略>

第三  被告らの答弁および主張<中略>

六(二) 被告らは、被告方法により生産されたメトカルバモールを輸入または販売しているものであるが、その方法は、次のとおりである。

1  3――オルソーメトキシフエノキシー1、2――プロパンジオール(グアヤコールグリセリンエーテル)四五〇キログラムを炭酸ナトリウム(ナトリウムカーボネート)三キログラムの存在下で炭酸ジエチルエステル四〇〇キログラムと反応させて触媒を含むグアヤコールグリセリンエーテルの環状炭酸エステルを生成させる。

2  グアヤコールグリセリンエーテルの環状炭酸エステルと触媒とをなお含有する残留反応混合物を、まだ熱いうちにキシロール五四〇キログラムと混合攪拌し、次に冷却しながら溶剤中に結晶状で懸濁させる。

3  溶剤中に結晶状で懸濁しているグアヤコールグリセリンエーテルの環状炭酸エステルを五五五キログラムの二五パーセントのアンモニア水と二〇度で反応させて3――オルソーメトキシフエノキシ―2――ハイドロキシプロピルカーバメート(メトカルバモール)を製造する。<後略>

理由

一原告が本件特許権の権利者であること、本件特許明細書の特許請求の範囲の記載が原告主張のとおりであること、3―オルソ――メトキシフエノキシ――2―ハイドロキシ――プロピルカーバメート(メトカルバモール)が本件特許発明の目的物であるアルコキシフエノキシ――2―ハイドロキシ――プロピルカーバメートの範囲に属するものであること、被告ケミア貿易株式会社および被告海外交易株式会社がブルンネングレーバー社から3―オルソ――メトキシフエノキシ――2―ハイドロキシ――プロピルカーバメート(メトカルバモール)を輸入販売し、被告太田薬株式会社が右被告らからこれを買い受けて販売していることは、いずれも当事者間に争いがない。

二被告らは、その主張する被告方法によつて生産されたメトカルバモールと本件特許発明の実施によつて生産されたメトカルバモールとはその融点が異るから、同一のものではなく、したがつて、前者は、本件特許方法によつて生産されたものであるとの推定を受けない、と主張する。

しかしながら、化学物質においては、構造式が同一であるかぎり、他に特段の事情のない以上同一の物と認めるべきであつて、融点が多少異なるからといつて、別の物質であるとすべきものではない。同一物質においても、融点は測定の誤差によつても、また、その物の純度の差によつても異なりうるのである(純度が下がれば一般に融点も下がつてくることは<書証>の示すところである。)。現に、被告らの挙示する宣誓供述書も、本件特許明細書中の実施例に基づいて生産したメトカルバモールの融点と、被告主張の、昭和四五年一〇月六日特許出願公告昭和四五年第三〇八〇七号をもつて出願公告されたブルンネングレーバー社の方法で生産されたメトカルバモールの融点とは、前者がその純度において劣るために後者よりも融点が低い旨の実験の結果を配しているのであり、また、同号証添付のアメリカ合衆国の国民医薬品集においても、メトカルバモールの融点は九三度Cないし九七度Cである旨の記載があり、このことはまた仮に本件特許方法により生産されたメトカルバモールと被告方法により生産されたメトカルバモールとの間に被告が主張するような融点の差があつたとしても、そのことだけで両者が同一の物質ではないとすることはできないことを示しているものである。被告主張の両者の顕微鏡写真、薄層クロマトグラフィー、赤外線吸収スペクトル、核共鳴スペクトル等についても、同様のことがいえる。すなわち、これらは物質の同定のためには重要な意義を有するが、同一物質で純度の異なるものについて、前記のような測定、実験を行つても、その間に差異がでてくることは当然のことである。

被告方法によつて生産されるメトカルバモールが原告主張のような化学構造式をもつていることは、被告らの認めるところであり、この事実からすれば被告方法によつて生産されるメトカルバモールは、本件特許発明の実施によつて生産されるメトカルバモールと同一のものであるというべきであり、他に両者が別物であるとする特段の事由を証明すべき証拠はなにもない。

三被告は、特許法第一〇四条にいう「特許出願前」とはわが国における特許出願前の意であり、かつ、それに限られるのであつて、本件メトカルバモールは原告が特許出願した昭和三一年六月二一日以前に公知であつたから、仮りに被告らが輸入しまたは販売するメトカルバモールと本件特許方法によつて生産されたメトカルバモールが同一のものであるとしても、被告らのメトカルバモールは本件特許方法によつて生産されたものと推定されるものではない、と主張するのに対し、原告は、特許法第一〇四条の「特許出願前」とは、わが国における特許出願について優先権があるときは、最初に出願をした同盟国(第一国)への出願前を意味するものであり、原告は本件特許出願について昭和三〇年六月二二日出願にかかるアメリカ合衆国特許出願に基づく優先権を主張しており、本件メトカルバモールは右優先権主張日以前には日本国内において公然知られた物でなかつたから、被告らが輸入しまたは販売するメトカルバモールは本件特許方法によつて生産されたものと推定されると主張するので、この点について考えてみる。

当裁判所は、わが国における特許出願につき優先権主張がなされている場合には、特許法第一〇四条にいう「特許出願前」とはその優先権が主張された第一国への特許出願前を意味するものと解する。けだし、条約第四条、特許法第二六条、第一〇四条を総合して勘案すると、右のように解しないといわゆる新規物質の製法の発明をした特許権者の保護に欠けることになると考えるからである(東京地方裁判所昭和四五年(ワ)第七九三五号事件、昭和四六年一一月二六日言渡判決参照)。

しかして<書証>を総合すると、メトカルバモールは、原告の特許出願の優先権主張日である昭和三〇年六月二二日以前には日本国内において公然知られた物でなかつたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。そうすると、被告らが輸入しまたは販売するメトカルバモールは、他に反対の証拠がない限り、特許法第一〇四条により、本件特許方法によつて生産されたものと推定されることとなる。

四  被告らは、被告らが輸入しまたは販売するメトカルバモールはその主張する被告方法によつて生産されたものであると主張する。

<書証>を総合すると、被告の右主張は立証されたものと認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

五次に、被告らは、被告方法を用いることはブルンネングレーバー社が昭和三九年九月八日に特許出願し昭和四五年一〇月六日に出願公告されたところの発明の実施であるから、被告方法で生産されたメトカルバモールを輸入し販売することは、その専有する特許出願にかかる発明の実施をする権利の行使であり、したがつて、本件特許権を侵害することにはならない旨主張するのでこの点について考えてみる。

原告が特許法第一〇四条の推定規定を援用してその請求原因についての主張をし、その立証が認められる場合には、被告は、抗弁として、(一)自己の使用する生産方法を開示し、その方法が原告の特許発明の技術的範囲に属しないことを主張することができるが、また、(二)被告が特許権その他の権利を有し、被告の開示した生産方法の使用はその権利にかかる発明または考案を実施するものである旨主張立証することもできる。原告は、被告のこの権利の主張に対しては、再抗弁として、その権利の内容いかんにより、被告の権利が原告の先願にかかる特許権と牴触の関係または利用の関係にあり、実施しえないものである旨(特許法第七二条、実用新案法第一七条等)あるいはその他の主張をすることができるであろう。

牴触関係について、このように解することは、特許され有効に存在する権利について、その特許を無効とするとか、その効力を失わしめるためには、特許法に定める手続によるなどの明文の規定にもとづくことを要するとすることと矛盾するものではない。けだし、このように解しても、現に存する特許権について、裁判所がその特許を無効と判断したり、特許の効力を失わしめることになるわけではなく、現に存する特許権が、一定の場合、たとえば、同一の発明について先願にかかる特許発明が存する場合に、この先願にかかる特許発明との関係においてのみ、後願にかかる特許発明について、その権利行使が牴触する限度で制限されるものと解するにすぎず、その権利行使の範囲について解釈をしているにとどまるものであるからである。したがつて、このような後願にかかる特許発明について、すべての場合にその権利の行使が許されないとするものではなく、たとえば、この後願の特許権にもとづいても、第三者が権原なく当該発明の実施をしている場合や、自己よりさらに後願の同一発明にかかる特許発明が存し、その実施をする者がある場合には、正当にその差止を請求するにいささかも妨げがないのである。このように解することは、特許法第七二条後段において、先願にかかる意匠権と後願にかかる特許権とが牴触する場合に、その特許発明の実施をすることができない旨規定している趣旨にも合致するものということができる(なお、先願にかかる意匠権と後願にかかる登録意匠に類似する意匠とが牴触する場合についての意匠法第二六条第二項後段(意匠法第二三条本文)、先願にかかる実用新案権と後願にかかる特許権とが牴触する場合についての大正一〇年法律第九六号旧特許法第三五条第三項前段の各規定参照)。

ところで、被告ら主張の特公昭四五―三〇八〇七号で出願公告されたブルンネングレーバー社の特許出願の特許請求の範囲は、

「グアヤコールグリセリンエーテルを炭酸ジエチルエステルとエステル交換触媒の存在で加熱して反応させ、こうして得られた、触媒を含む環状カーボネートをまだ熱いうちに全反応成分に対して不活性な芳香族炭化水素系溶剤と混合し、次に冷却することにより溶剤中に結晶状で懸濁させ、引続き環状カーボネート一モルに対して三モルより多量のアンモニア水と二五度C以下で反応させてメトカルバモールにすることを特徴とするメトカルバモールの製法。」

であることは、<書証>の記載により明らかである。

被告方法で用いる炭酸ナトリウムはエステル交換触媒の一種であり、キシロールは芳香族炭化水素であることは明らかであり、また、被告方法の工程の中間においてグアヤコールグリセリンエーテルの環状炭酸エステルが生ずることは、<書証>によりこれを認めることができるから、被告方法は、前記特公昭四五―三〇八〇七号の発明の実施であるということができる。そして、特許法第五二条は「特許出願人は、出願公告があつたときは、業としてその特許出願に係る発明の実施をする権利を専有する。」と規定する。この規定によれば、ブルンネングレーバー社は前記発明の実施をする権利を専有することは明らかである。

ブルンネングレーバー社の特公昭四五―三〇八〇七号発明(被告方法)が本件特許発明の後願であることは、前認定の事実から明らかである。そこで、本件特許発明の方法と被告方法とを対比し、両者の同一性の存否について検討する。本件特許発明の特許公報によれば、本件特許発明においては、まず、出発物質3―オルソ――メトキシフエノキシ――1・2―プロパンジオール(グアヤコールグリセリンエーテル)をフォスゲンと反応させて、クロロカーボネート中間体を作ることを、少なくともその必須の一構成要件とすることが、とくに、その特許請求の範囲の項の記載に徴し、明らかである。なお、このことは、同号証中、発明の詳細な説明の項において、「出発原料を有機溶剤、就中ベンゼン中の当量のフォスゲンと反応させ、中間的なクロロカーボネート化合物を作る。この反応の始めの段階はビリジン又はジメチルアニリンの如き有機アミンの当量の存在下で遂行される。次いでクロロカーボネート中間体をアンモニア又は水酸化アンモニア又は低級アルキルアミンと反応させて希望するアルコキシー置換カーバメートを作る。この粗製生成物は沈澱として得られ、再結晶等によつて更に精製される。常に理論量の六六%までの収率が達成される」として、明確にされている。そして、本件特許発明の特許公報中には、そのほかに、実施例その他においても、反応物質としてフォスゲンを用いることおよび中間体としてクロロカーボネート(鎖状カーボネート)を作ること以外の方法については、全く開示されていない。これに対し、被告方法においては、本件特許方法と同じ出発物質グアヤコールグリセリンエーテルを用いるものではあるが、反応物質としてはフォスゲンを用いず炭酸ジエチルエステルを用い、これをグアヤコールグリセリンエーテルと反応させ環状カーボネート中間体を作るものであり、この点において本件特許方法と異なることが明らかである。ところで、<書証>および以上認定の事実ならびに弁論の全趣旨によれば、本件特許方法における反応物質フォスゲンは、周知の猛毒性と強い腐蝕性を有し反応を実施することが困難な物質であるのに対し、被告方法における反応物質炭酸ジエチルエステルは、フォスゲンの有する毒性も腐蝕性もなく取扱い操作が容易であること、したがつて、反応物質としてどちらを選ぶかといえば、特段の事情のない限り、炭酸ジエチルエステルを用いる方が好都合であること、反応工程上、中間体として、グアヤコールグリセリンエーテルの鎖状カーボネート(クロロカーボネート)を経るより、グアヤコールグリセリンエーテルの環状カーボネートを経る方が、不要の副生物を少なくし純度のよい目的物質を得るうえで好都合であることおよび被告方法においては本件特許方法よりも高純度の目的物質メトカルバモールが二〇%以上もの差をもつ高収率をもつて生成されること、これは、本件特許方法と被告方法との前記差異に主としてもとづくものであることが認められる。

原告は、被告方法をもつて本件特許方法と均等であると主張する。しかしながら、もともと、特許明細書の実施例としては、特許出願人が最良の結果をもたらすと考えるものを多種類かつ必要に応じ具体的に記載すべきものであることはいうまでもなく(特許法施行規則様式第一六の一三の(ロ)参照)、一方、被告方法は、本件特許方法に比し、前認定のとおり、使用する反応物質、反応工程、および目的物質の収率において、はるかにすぐれていると認められる以上、本件特許発明の出願人がその出願当時被告方法と同一の方法にも想到しまたは想到しうべきものであつたならば、当然にこれについてもその明細書に言及すべきものであるというに何らの妨げもない。しかるに、前認定のとおり、本件特許発明の明細書には、これらの点についてうかがうに足りる記載さえなく、このことからすれば、本件特許発明においては、被告方法と同一内容のものについては、その出願当時想到していなかつたのはもちろん、これに想到することも容易でなかつたものと認めるのが相当である。

したがつて、以上によれば、被告方法と本件特許方法とが前記工程に続く爾後のカーボネート中間体の処理による目的物質の製造工程において一致するとしても、物を生産する方法の発明としては、被告方法は、本件特許方法の技術的範囲に属するものないし均等のものとすることができないことは明らかであるし、また、本件特許方法を利用するものでないことも、対比上明らかである。

原告は、右ブルンネングレーバー社の特許出願は炭酸ジエチル法一般について特許性ありということではなく、特殊な操作をすることによりメトカルバモールの収率を改善する点に炭酸ジエチル法一般を越える多少の特許性ありとして特許出願公告されたものであるから、右公告の事実は本件の争点にはなんの影響もないという趣旨の主張をするが、右出願公告された発明が仮に原告主張のような意味しか持つていないとしても、いずれにしても右発明は原告の本件特許発明を利用したものでないことは明らかであるから原告の右主張は理由がない。

六以上のとおり、被告らの行為は、原告の本件特許権を侵害するものでないことは明らかであるから、原告の主張は、その余の点の判断をするまでもなく失当である。よつて、これを棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(荒木秀一 高林克巳 元木伸)

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